398 澄んだ川のハヤの群れ

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自分自身を理解し始める上でとても役に立った記憶映像がある。その一つ。
私の母は、彼女自身の理由から、幼かった私の育児を放棄した。そのことを小さな私はとうに知っていた。母の実家である山の中の農家に預けられた。母は、週に一度水曜日に、私の着替えなどを持ってバスに乗り、その農家に訪ねてくると約束した。約束は守られなかった。
私は毎日 1人でバス停にやってきてバスを待った。バスの本数は少なかった。一日中待った。すぐ横に山間(やまあい)の川があった。川の水は美しく澄んでいてハヤ(鮠)の群れがいた。橋の上から大きな石を落して遊んだ。ドボンと音がしてすぐに澄んで、またハヤが群れた。バスは遠くから山に向かって川沿いを上り、そのバス停に止まって何人かの乗客を降ろした。その後、さらに上流に向かい、ほどなく終点で折り返して、戻ってくる。戻って道の反対側のバス停に止まり、また、遠く下流に帰っていく。
さて、上ってきたバスがバス停に止まるとき、私は、川のそばにあった雑貨店の陰に隠れた。まるでストーカーだった。降りた乗客の中に母はいない。ほとんど探さなかった。バスは、エンジン音が細く微(かす)かになっていき完全には消えないうちに、また大きなエンジン音になり戻ってきて、反対側のバス停に止まる。私は、それまでに道を横切り(このときバスに轢(ひ)かれかかったことがある)、反対側にある農業用水が流れているコンクリート製の樋(とい)の上に登る。登って、母がいるはずのないバスの中を、舐(な)めるように見た。まるで、このときとばかりに盗むように見た。とろけるように恋しい気持ち。誰もいないバスの床の、油でくすむ床板を、今も鮮明に覚えている。
母への恋しい気持ちは、すでに実際の母を離れており、気持ちだけが純粋に存在した。恋しい気持ちが、実際の母親像によって邪魔されることを、知らないうちに避けていた。純粋に恋しい気持ちは、透明で広々としていた。

 

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