395 「何もない」という感覚を初めてオープンにできた

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誕生後すぐに10日間保育器に入れられた。やや未熟児だったが、それより両親が仕事で忙しく、私を病院に預かってもらう必要があったという事情が大きく影響している。そのことが心の傷になっている。人生のスタートから一人ぼっちで保育器の中で我慢して過ごすしかなかった。今も、こころの底には、人生に対する我慢や遠慮が根強くある。
今までのセッションでは、保育器にいる自分を表現し、我慢、遠慮しなくていいと安心させて「大丈夫、大丈夫」とやることができた。さらに、小さい子が甘えてクネクネと自分を表現するような感じができた。それから、実生活の心の状況は、楽で調子いい。でも、あまり調子がいいので、いつ悪くなるのかと慎重に過ごしていた。
そのころ職場で、小さな出来事があった。部下の社員と、仕事のことで意見がぶつかった。その社員は、思っていることを遠慮なくストレートに出してきた。気持ちがこもっていた。自分にはできないこと。うらやましかった。立場上、その社員に反論し納得させなければならなかったが、自分の意見は、正論ではあるものの、綺麗事になってしまう。自分で言っていて、中身がないなと分かっちゃうようなものだった。自分も自分の気持ちを言えるようになりたいと思った。
今回のセッションでは、「大丈夫、大丈夫」からさらに進んで、ヤダヤダと駄々っ子をやるように表現をすることにした。
ところがいざ始めようとしたら、うまくいかない。何もならない。始める時に怖くなった。とにかく怖かった。セッションルームの天井が広いのが気になった。踏ん張れるものがない。手足がフリーすぎてゾクゾクした。途中でしらけが何度も来た。それが嫌だった。「怖い」とやっていた。怒りを出してみようとしたが、出せないし何もない。何もなくなる。「何もない」のは表現できない。初めての感じ。なくなっちゃったら、中身がない、自分がない。
何もないので諦めた感じ。地面に潜っていく感じ。多分死んでいくのだろう。でも、死ぬのは全然怖くなかった。安心した。安心して死ねたよう。イメージは土葬で棺桶が穴の底へ降りていく感じ。でも怖くない。「何もない」まま生きていく方が怖かった。
「何もない」というのは今までオープンにできなかった。昼食の時間にお弁当に何も入っていなくて、恥ずかしくて開けられないような状態に似ていた。開けたらやばいという感覚。悲しい。それをオープンにできた。
オープンにする事はとても怖い事だった。だが怖いながらも今回、安心してオープンに出来た。オープンにできる仲間と環境があってこそ、何も入っていない弁当箱を開ける事が出来た。

 

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