321 私は観たぞ

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母から本当の愛情はもらえなかった。私を怒りで支配しようとした。支配を受け入れ母に同化してやり過ごした。その悲しさを補うように、子どもたちを手放したくなかった。幼い子供たちは可愛かった。今は子供たちとの関係性が悪くても、あきらめきれなかった。生きるのが不安で一人ぼっちで死ぬのが怖い。そういうことだと、うすうすわかっていたが、どうしようもなかった。
セッションをした。
母が死んでいくお別れのシーンだった。看(み)取りのような感覚だった。母と関係性を結べなくて別れる悲しみ。泣いていた。
次は怒りが湧いてきた。母は、私にどうしてもいうことを聞かせようとするときに握り拳(こぶし)を、口に当て「ハー!」と息を吐きかけ、殴るぞと脅した。母の怒りの形相が目に焼き付いている。その母の「ハー!」の怒りが私にもある。母が私をやったように、私は子供をやった。母の怒りと私の怒りと両方の怒り。私の中で燃える。その怒りをどこに持っていくのか。毛布を丸めて、毛布を殴り殺した。3発やった。母に私がやられたのか私がやったのか分からない。
3発やったら寂しさが出てきた。母は寂しかったんだなと本当に出てきた。自分の悲しみを観ないで拳を握りしめて怒りで出していた母。怒りで頑張って頑張ってきた。怒りは幼かった私たちに向けたけれど、本当は、母(祖母)にやりたかったろう。納得できた。曾祖母も同じだったろうと思われる。私も、母も、その母(祖母)も、その上の母(曾祖母)も、少なくても4代は悲しみを隠して怒りで(何とか)やってきた。

祖母は悲しみを隠して死んでいったんだな。母もそうなろうとしている。でも私は悲しみを観たぞ。悲しみを抱きしめる喜び。怒りの正体は悲しみだった。母を超えた、観たぞ、歓喜の喜び。悲しくて泣いて、自分のものにできた喜びで泣き笑い。泣いているうちに「私は観たぞー」。怒りの奥にある悲しみを観た。自由な感覚。

母に同化してガッチリと固まっていた私は、悲しみを観た瞬間に広がった。これで良いんだと思った。悲しみも怒りもある。両方あって良いんだというのがわかっていい。自由な感じ。悲しみに浸っていたら自由になった。怖くない、これで死ねる。今まで怖かった。怖くないのがすごく新鮮。自分を生きれれば死も受け入れられる。凄かった。あんなに生きるのが不安で死ぬのが怖くていたのに。

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