206 象徴的に理解する2(言葉を越える)|言語のない胎児期幼児期

IMG_1410

ベビーブレスで「自分と折り合いの悪い母と祖母が、ブレスの中で自分のかわいい小さな子供と同じように、小さな子供になって自分にすり寄ってきた」という映像的な経験をすることで深い理解が得られることは、興味深い。
自分が胎児期幼児期に悲しみなどの傷(自分と折り合いの悪い母と祖母からの傷)を受けると、その傷は何とか理解され納得されるまで、心の深くに潜伏する。その傷を自分で理解・納得しようとするときに、理解の材料としては言語や現実的な映像は手元にない。言葉は分からず、目がまだ見えない頃の遺物だから。漠然とした感覚的なものしか残っていない。この「感覚的なもの」は、胎児期幼児期から遥かに年月が過ぎた現在の大人になっても、心の中に存在する。不思議だが、当然。なぜなら、この「感覚的なもの」によって現在の自分(本人)が苦しむのであるから。この「傷」そのものも「感覚的なもの」として保存されているのかも知れない。
ベビーブレスでは、この「感覚的なもの」を、あたかもパズルのように組み合わせて、意識がはっきりつかめるように、すなわち理解できるように、しようとする。本人が、自分でも知らないうちに行う。パズルが組み合わさったとき、それは合理的な映像として、意味のある映像として認識される。「母と祖母が、小さな子供になって自分にすり寄ってきた」という映像である。
さらに、その映像によって自分が理解したことを再認識する。
(1)母や祖母は小さい頃、甘えられなかったが、本当は甘えたかった。
(2)そうすれば、本当は、母や祖母と自分の仲はよかったであろう。
(3)そして、自分もそれを喜んだであろう。
1番目の理解で映像が完成し、その映像をまるでテレビの映像のように見て、2番目の理解がなされる。これらは言葉を介さない理解である。理解を通して傷は癒される。

 

*******************

引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中