117 甘えは突破口ー甘えるトレ-ニング

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甘えは大きな突破口になる。甘えることは思ったより難しい。甘えることは自分を裸にすること。無防備にすること。恐怖が来る。「いい母親」に甘えようとしても、すぐそばには「わるい母親」がいる。心を無防備にした瞬間に、バシッとやられる怖さ。人によっては死の恐怖に近い。勇気を出してこころから甘えることができたとき、「いい母親」と「わるい母親」は統合され、統合からくる真の恐怖が克服できる。
対象を選んで甘えるトレーニングをする。優しい順に。
犬や猫などのペット:例えばペットと同じ床に寝転んでペットに触ってみる、抱っこしてみる。ペットの方が積極的なので甘え方のヒントになる。
子供たちのうち、自分と仲の良い子供:自分がペットになったような気持ちで子供に膝枕してみる。肩に頭を載せてみる。口に食べ物を入れてもらう。
苦手な子供:仲の良い子供と同じようにやってみる。
夫:子供と同じようにやってみる。
母親:最後の仕上げ。

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116 甘えられるようになった:あたたかい

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私は母親に甘えることができなかった。物心ついた時から、駄々をこねたり、わがままを言ったり、泣き言をいうことができなかった。ずっと肩肘を張って生きてきた。弱音を吐いたらいけないと思っていた。
思えば、頼りなくて、いつも不安を抱えていて、劣等感の塊のような母だった。兄が問題を起こすようになった。余計に私は良い子でいるしかなかった。私まで困らせるわけにはいかなかった。小学生の時から母親の愚痴を聞くことが私の役割になった。
山中湖で寸劇(セッション)をした。駄々をこねて、わがままを言った。ひどいことを言っても受け入れてほしいとお願いした。気持ちが良かった。良い子から解放されたようで、涙がとまらなかった。
それ以降、高校生の娘に甘えられるようになった。「もう疲れちゃった!」「もう無理」と言って娘に抱きつく。くっつきに行く。娘は無言で優しく撫でてくれる。すっかり調子にのって、くっつきにいくのが日課になった。<またか>と娘は思いながらも優しく受け入れてくれる。あたたかい。

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115 世代間伝達とそれを越えてー死と生が仲良く

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<世代間伝達>
セッションが進むといつも間にか取り組むことになるのが、世代間伝達。
私たちの心の悩みが、母、私、娘へと伝達されているということを観抜くようになる。例えば、心の中にある自閉、恐怖、殺意などのことは、母、私、娘に似たものが同じようにあるのではないかと気が付く。そして母、私、娘の順に伝わっているのではないか、と。さらに、(例として)自閉、恐怖、殺意は互いに関係があるのではないか、と。
<実際の体感>
はじめからは、分かりにくい。多くの場合、はじめの段階は純粋な怒りや恐怖を体験する。誰に対する怒りか、何に対する恐怖とかは、出ないことが多い。
そのうちに対象がはっきりしてくる。特に母親が重要で中心的なのが分かってくる。さらに、母親から被害を受けたことがセッションの中心となる。対象は母親で私たちは被害者である。いよいよ重要な段階になる。この段階が勇気をもって十分に納得がいくまで体感されることが重要。この段階で、隠されたものを十分に意識化するには、いい母とわるい母(クライン)の全体的な認識が効果的。
臆せずにこの段階を余すことなく体感できれば、次の段階で、私たちは同じようなことを子供(娘)にやってしまったことを思い出す。私たちは加害者でもあったのだ。このとき自分が悪人でありえたという罪意識に耐えられることが重要である。あの幼く可愛らしく純真であった我が子に「やってしまった・・・」と。耐えられないときには、前の段階に戻り、やり残しを納得がいくまで体感する。
<世代間伝達を越えて>
このようにして世代間伝達が体感され、それに逃げずに向き合うことが必要。十分に体感されると、ある意味で安心し、より本質的なものに向かう。より深く納得したい欲求が出る。そして、殺意は母親を越える。母親はもはや問題ではなくなる。世代間伝達を越えた段階といえる。対象は自分自身や世の中全体、宇宙全体となる。やがて、対象さえなくなる。死そのものを扱う。死が忌み嫌われるものではなくなる。そうするうちに死と生が仲良くなる。死と生を峻別することは魅力がなくなる。生死を越えるようになる。
<行きつ戻りつ>
これらの段階は人によっては前後することもある。並行して進むこともある。何度も行きつ戻りつして前進する。避けずに全ての段階を通ることで力が付く。

 

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114 思い出した殺意 2/2ー破壊的な怒り…恐い

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<一人娘である胎児への拒否>
その後、私が現在の一人娘を妊娠したと分かった時、それは、それは大喜びした。大喜びだったはずなのに、つわりに耐えられず泣き、旦那とのセックスも自分が満足するようにできず、“お前(娘である胎児)がいるからだ。お前がお腹にいるからだ。お前のせいだ。私が好きなように出来ないからお前なんかいらない”と思った。大きなお腹を押さえながら思った。そんな気持ちを誰にも言わなかった。
<死:恐怖と望み>
陣痛中、経過が順調で、助産師さんに「(お腹の子は)よく分かってる子ですね。」って褒められたが、全然嬉しくなかった。だって陣痛が痛すぎて陣痛室から飛び降りる事しか考えてなかった。そうやって死を避けている私が、死ぬ事が怖い私が、何かある度に“死”を考えていた。
<セッション:母への憎悪から胎児への憎悪>
娘の育児に行き詰まった。娘を自閉的にしてしまった。セッションを受けるようになった。セッションでは「母親に対する憎悪や怒りをやらなくてはいけない。」と言われ、母に対する憎悪や怒りを思い出していくうちに、フツフツと怒りが増すにつれ、娘が胎児だった時の娘に対する憎悪や怒りも蘇ってきた。
<可愛いという気持ちと殺意の同居>
ベビーブレスのセッション中で、娘が可愛くて、可愛くて、「大好き~」と抱きしめていたら、それがいつしか憎しみに変わり、それでも大好きという強い気持ちと憎しみで娘が潰れるまで、潰れても強く抱きしめたあの感覚を今でも忘れない。そう、きっと殺意だ。私の中にある殺意なんだと思った。
<娘の自閉は母からのもの>
娘は自閉的だ。娘の事を思うと本当に悔しい。お前(母親)のせいだ!!自分の感情のままに子供(私)を従わせ、子供(私)は絶対母親を裏切らない事を利用したんだから。母もきっと、どこかでその事を感じ知っていたんだろう。子供(私)は裏切らない、絶対裏切れないという事を。
私は、母に従わなければ、母に(感情の交流を)シャットダウンされた。その悲しみ。そのため私自身も自閉的になってしまった。そして育児をうまく行えなかった。私のために娘も自閉的になってしまった。
<今もある、言ってはいけないという気持ち、破壊的な怒り>
今でも、私は本当の気持ちを言ってはいけないという気持ちがある。“本当はどうしたいの?本当の気持ちは?大丈夫だから言ってごらん”と、悩んでいる時に自分に問うと今でも涙が出てくる。
本当の気持ちがいえないだけでなく、何で罪悪感もなく、なぜ堕胎ができたのか…。何でこの堕胎の話をあまりしなかったのか…と、瞑想をしながら、日々のご飯を作りながら探っている。
怒りは今も完全には消えていない。その破壊的な怒りと憎しみを出す事でどうなってしまうか…。恐い。本当に恐い。恐いけど、ここを探って味わっていかなければいけない!!と強く強く思った。娘の為にも。そして、自分自身を本当に知る為にも。

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113 思い出した殺意 1/2ー母からの殺意自分へ胎児へ

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セッションが進み、思い出してきたことがある。はっきりしてきたことがある。怒りを許し、悲しみを許し、自分自身の死の恐怖に向かい合う作業を始め、そして、記憶の固い蓋が緩んだ。私のお腹にいた娘に対する拒否があった。さらに昔、19歳の時に堕胎していたことをはっきり思い出した、話せないことだった。殺意だった。自分へも殺意があった。その奥には母が持つ殺意があるだろう。
<母の結婚生活は幸せではなかった>
母の結婚生活は幸せではなかった。私がお腹の中にいる時、母は「あんた(胎児の私)さえできなければ」と思っただろう。毎日飲みに行っては帰ってこない夫。飲んでは暴れる夫。妊婦の母が家政婦のように奴隷のように扱われていたらしい。
<母の殺意>
きっと母親の中にも殺意があるだろう。私を真っ暗な押し入れに閉じ込めて、どんなに泣き叫んでも、どんなにお願いしても、どんなに謝っても出してくれず、また違う日には怒り狂って私のお尻をミミズ腫れになるまで叩いた。母の手が痛くなると、手の代わりにスリッパに替えて叩かれた。
そして、弟も同じ様に叩かれているのを、弟を叩いている時のあの鬼の様な狂った母の顔を、私はジッと見ていた。今でも思い出す。狂った母の顔を。

<本当の気持ちは言えない、絶望感、怒り、自傷行為、閉じる感じ、物凄い怒り>
私は本当の気持ちを言ってはいけなかった。絶望感、怒り、その怒りを鎮める為の自傷行為、どうせ私なんか…と自分を閉じていった。自分の無力さ、本当は傷ついているのに平気な顔をした。それが限界に達すると、私は母親に対して爆発した。地球、いや全宇宙を破壊してしまう程の物凄い怒りを感じた。
<堕胎:罪悪感がない>
今までグループカウンセリングで話さなかった事を思い出してきた。それは私が19歳の時に子供を堕胎したこと。初めはエコー写真を見て「誰に何と言われようと絶対産む!!と決めた。なのに、母親にも彼氏にも産む事を反対された私は、あれだけ「産む!!」と決めていたのに、すぐに平気な顔をして堕胎した。その時は何の罪悪感もなかった。
<母の反対に従う>
でも、本当は本当の私は産みたかった。彼氏というよりも母親に反対された事が何よりも悲しかった。私1人だったら何もできないと思った。母親に反対されるなら、母親に私を拒否されるなら、私の本当の気持ちを無くしてしまえ。そうすれば丸く収まる。きっと母に従えば私に優しくしてくれるから。と小さい頃から自然と学んできたんだと思う。
<自分と胎児への殺意>
私が罪悪感もなく堕胎したという事は、私の中にある殺意で自分自身を殺し、実際に子供を殺したんだ。自分を利用し、子供を利用し、何の罪悪感もなく平気で殺したんだ。そんな恐ろしい殺意が私の中にある。
続く

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112 勇気をもって体験し冷静に振り返るーセッションから精神分析

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ブログで精神分析のいろいろな説を紹介させていただくけれど、初めから、そのような他人の説に従うのは、本当はよくない。頭で考えてしまい感覚を迷わせる。予断は、進みを悪くする。
体験した後で自分で確認することは有効。整理され進みを良くする。(例えば)ベビーブレスで、「ああそうだったのか」と納得し大きく気づくことがあり、それで自分が解放される感覚を味わい人生が変わった体験をしたときは、その後になって、それは抑圧(フロイト)というものが外れたということなのかと、自分なりに確認すればいい。
母には感謝していると思っていたのに、セッションを受けるうちに母への怒りが激流のように押し寄せ、そして静かな気分になって、長年苦しんでいたものが楽になる体験をしたときには、いい母だけではなくわるい母(クライン)を認めるのは大切だと確認すればいい。
セッションで深く自分の中に入ったとき、思いもかけずお腹の中の記憶のようなものが出て、無制限の殺意があふれ出て、生まれて初めてのような開放を体験したときには、落ち着いた後で、これが未生怨(小此木啓吾、古沢平作)というものなのだろうかと思えるのであれば、胎児期に何があったのか肉親に情報を得て確認すればいい。
勇気をもって体験し、その後、必要であれば他人の説をお借りして、冷静に振り返る。

 

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111 すばらしいことー二元論から脱する

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いい母親と悪い母親の両方をそれぞれ体感し、両方を受け入れる事は、すばらしいこと。人を支配してしまう重い二元論から脱すること。とらわれずに、そのままの世界を見る目を持てるようになること。体感は言葉を超える。ブログは言葉。

 

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110 探しても見つからない(?)「いい母親」(コンラット・ローレンツの実験)2/2ー幼い子供が汚れないまごころでつかんだもの

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探しても見つからない(?)「いい母親」    2/2

目の前にいる愚かな母親の中に「いい母親」を探すことは、無駄なことのように思える。

その無駄なことの中に何とか活路を見出し、妥協し、再び偽善の努力の中に戻ろうというようなことではない。
そうでは無い。そんな偽善は「いい母親」を探すということの意味を、見失っている。わなに落ちている。「いい母親」と言うのは、私たちが幼かった頃に<感じた>母親である。幼かった私たちは、無力であり、純真であり、どんな母親にでも、けなげに付いていく。その母親の庇護のもと、はじめて生きることができる。幼い子供の目に映る母親には、命を助けてくれる「いい母親」が存在する。主観的なものである。実際に「いい」ことが証明されうるというような客観的なものではない。

カルガモの[刷り込み]の実験(コンラット・ローレンツの実験)では、生まれたてのカルガモのひなが、初めて見た動くものを、母鳥と思い込む。例えば、風船やおもちゃの汽車を母鳥と思い込み、懸命に付いていく。その懸命さは、けなげで、本物の母親を慕うようで、見ているこちらの胸が痛くなる。主観的には風船は「いい母親」なのだ。すばやく盲目的に付いていくことで肉食獣から命を奪われる確率が減る。命そのもの。客観的には、風船は、ただのゴム膜と空気であり、いい母親などではありえない。そもそも母親でさえありえない。しかし、そのような客観性のことではない。

「いい母親」と言うのは主観的なもの。幼い子供の主観。思い出すために、表を通りがかりの若い人が押す乳母車の中の赤ちゃんの目を、覗き込んでほしい。「いい母親」は、私たち幼い子供が、汚れないまごころでつかんだもの。傷つく心をかえりみず懸命に受け入れたもの。天使のような純真さで手に入れたもの。現実の外の世界に存在する、できの悪い母親、悪意の母親の存在では否定されないもの。「いい母親」は幼い私たちの心の中に厳然として存在していた。今も心の中に存在する。私たち自身の命のようなもの。かけがえのないもの。

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109 探しても見つからない(?)「いい母親」1/2ー愛情をくれずにこの世を去ろうとしている

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探しても見つからない(?)「いい母親」1/2
健康な人は、自分の母親の中には、本当には自分を愛してくれなかった憎い母親(わるい母親)と、できる範囲で生いっぱい自分を育ててくれた大恩のある母親(いい母親)と、二つの面があることを実感できる。実感する際に生じる苦痛(不安)も受け入れる。いわば母親を立体視できる。現実の母親を観ることができる。そうして他人や世の中を立体視でき、世の中の現実を観ることができる。苦痛の受け入れが、深みのある人を造る。

しかし、とことん愛されずに傷ついてきた私たちは、そのように実感することはできない。どちらか一面を強調して見る。「母親はいい人でした。他には別にありません。以上。」または「母親はわるい人でした。それ以上考えたくありません。」と。「いい母親」が、実は自分(私)の妊娠を望んではいなかったというようなことには耐えられない。または、「わるい母親」を、幼かった自分が心から慕っていたというようなことには耐えられない。そのように「一面」的になることで、立体視を捨て、辛い人生を何とかやり過ごそうとする。しかし、その「一面」的になることで、より大きな代償を払う。苦しむ。すべてが分割されたまま。人生に不全感が付きまとう。場合によっては分裂(統合失調)的になる。一生抜け出せない。

「一面」的から脱し立体視を手に入れる努力をあえてすることは、とても有効。例えば「わるい母親」だけで「一面」的になっている場合。「いい母親」を探してみる。もちろん簡単ではない。
目の前の母親は、老いて、閉じて、人間的魅力も皆無となった人。自分(私)へはついに真の愛情をくれなかった人。自分(私)を置いて一人ぼっちにしたまま、この世を去ろうとしている人。何もわからないまま頑固なまま逝こうとする人。もはや手の届かない愚かさの彼方に消えようとする人。その人の中に「いい母親」など、とても探しようがない。探そうとしても路頭に迷う。無駄なことのように思える。
続く

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108 その人の隠そうとするその悲しさにいっしょに自分を浸すー自分も同じことをするかも

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悲しさ、落ち込んだ気持ち、不安、恐怖、奈落、・・・(表現はいろいろ)。セラピーが核心へ進めば進むほどそこへ行ってしまう。何とか浮上しようとする。自分を鼓舞して”元気”になってみたり、誰かに当たり散らしたり、気がまぎれる”何か”をしてみたり、治ったはずの病気へ戻ったり、全く別のことを始めたり、・・・。いわば七転八倒。無かったことにしよとする、隠そうとする。

周囲ができることは一つ。本人が隠そうとするその悲しさにいっしょに自分の身を浸すこと。同じ状況であれば自分も同じことをするかもしれないその同じ悲しさに、自分の身を置くこと。本人の代わりに、目をそらさないこと。これがグループカウンセリングでは手に入る。癒しの空間。

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107 似ていて非なる気持ちーいやだ!これか!

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セラピーの中で、隠れていたものが現れる。実は自分が、幼い時に母親から愛情をもらっていないことに、大きく気がつく。そのとき、悲しく落ち込んだ気持ちになる。その落ち込んだ気持ちには、2種類ある。似ていて非なる気持ち。
(1)「いやだー!」と思う。がっかりする。被害者的な気持ちにななる。何とか外へ逃げ出そうとする。
(2)「これが自分を苦しめていたものか!」というように種明かしをつかんだ気持ちになる。もっと深く内側へ体験しようと思う。
これら(1)(2)は相反する気持ち。大きな分かれ道。あっちとこっち。あっちへ行って、それから、こっちへ戻ってくる人もいる。同じ人に2つの気持ちが同時にあることもある。迷う。

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106 娘の血のうんちーオムツを汚さない我慢の結果

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<血のうんち>
私の娘は酷い便秘症だ。まだ小学校2年生なのに、毎回血を出しながらうんちをする。その理由は、娘が赤ちゃんの時私はうつで朝起きられなかったため。朝起きようとすると体が動かず目眩もした。私の娘は、オムツをうんちまみれ、おしっこまみれの状態で、寝ている私のそばでジッとしていた。普通だったら気持ちが悪くて泣いているはずなのに泣かずにジッとしていた。娘は極限まで我慢した。その影響が未だに強い。
<シャットダウンする母>
私の母は昔から私の話を聞いてくれない。普通の会話はするが肝心な時に私が助けて欲しい時に母は、私に心のシャッターを下ろす。ガラガラと音を立てて威勢よく私をシャットダウンする。シャットダウンされる悲しみ。どうして私の事を分かってくれない‼私自身を丸ごと認めてくれない。受け入れてくれない。なんで‼なんで‼どうせ私なんか‼といつも心の中で思っていた。
<怒り、大好き、助けて欲しい>
物凄い怒りと母に対する憎悪がある。でも母親には言えない。言うのが怖い。受け入れてくれない母親に言えるはずがない。また私が無くなるだけだから。でも、そんな母親を私はずーっと求めていた。いや、そんな母親でも嫌いだと思っていた母親でも、私の大好きな大好きな母親を求めていた。私は母親に救い出して欲しかった。助けて欲しかった。
<子供の面倒を見られない、受け入れて、謝って、向き合って、絶望>
この可愛い子供の面倒を見られないという私を見て欲しかった。そして、子供の面倒を見られないという私を母親に認めてもらって丸ごと受け入れてほしかった。そして私を受け入れた後、謝ってほしかった。だって、私は何も悪くない。母親にとったら私は子供だ。子供の私が母親に求めて何が悪い‼甘えて何が悪い‼子供として当然の事だ。「私も母親にされてなかったから出来ない〜」なんて逃げないで子供の私と向き合って欲しかった。もっと母親は母自身の子育てで悩み苦しみもっと葛藤すればいい。お前のしてきた結果だろ。心のシャッターなんか下ろさず、子供を見られない私を母親の子供の私を文句も言わずにちゃんと見てほしかった。私はそんな母親に絶望しながら物凄く怒っていた。
<娘は私と一緒そして母親も>
そんな私のそばで、寝ている私のそばで、娘はオムツをうんちまみれ、おしっこまみれの状態でジッとしていた。ジッとしている間、怒りや悲しみ、絶望感、無力感などが娘の中でフツフツと湧いていたと思う。私が母親に感じている感情と一緒だ。いつしか娘は、オムツが濡れないように汚れないように自分で我慢をするようになったんだと思う。“私が我慢さえすればオムツが汚れない”と小さい小さい娘は思った。その我慢は私に対する物凄い怒り、憎悪になった。オムツがはずれた頃もおしっこも限界まで我慢した。うんちも出産のようにして「痛い〜」と泣きながらトイレでした。娘は、母親である私のせいで、怒りの塊を、絶望の塊を便秘という形で体に表す。私は娘の怒りや絶望、恐怖、悲しみを全身で、しっかりと心で受け止めていかなければいけない。「あなたのせいではないよ、ママの問題であなたを巻き込んでしまったね。本当にごめんね。」と。私は娘の母親なのだから‼‼ そして、こんな辛い思い、辛いうんちをするという行為が示す恐怖を、うんちが硬くなるまで我慢する程の怒りを、「私が(娘)苦しんでいるのを[しっかり見ろ‼お前のせいだろ‼]って、もっともっとママに怒って大丈夫だよ。あなたのせいではないんだから」としっかりと何回も何回も私は娘に伝えていかなければいけない。そして同じように母親も私に何回も何回も言ってほしい。“あなたのせいではないよ”という事を。

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105 ただならぬ深さを持つ悲しさー二つが一つであることが体感されるとき

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いい母親と悪い母親の二つが本当は一つであることには耐えられない。そして私たちは苦しみ「ぐちゃぐちゃ」(林)になる。二つが本当は一つと認識したくないので、そもそも、ものごとを統合できない分裂になる。二つが本当は一つという現実を認識したくないので、そもそも現実を逃れて妄想を起こす。二つのうち一つだけを採用して”元気”になり躁となる。いろいろなことが起きる。この「ぐちゃぐちゃ」の状況(妄想分裂ポジション(メラニークライン))は本来は未成長の赤ちゃんのもの。しかし大人の私たちの中にもある。私たちの中の未成長の赤ちゃんの名残。
機が熟して、この二つが一つであることがセッションの中で劇的に体感されるとき、その場には神聖な雰囲気さえ漂う。
劇的にではなく、二つが一つであることが徐々に体感されるときには、特徴的な出来事が起きる。深い深い静かな悲しみ(抑うつポジション(メラニークライン))。この悲しみが起きると居合わせた周囲のみんなが沈黙する。ただならぬ深さを持つ悲しさが周囲を支配し身じろぎも許さない。本人がこの悲しみに耐え、悲しみがなぜ起きているのかを観ることで、着実な成長が起きる。まるで透明な神様がその人の手をとって静々と導くように見える。

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104 「いい母親」を殺す。「大嫌いな母親」を抱きしめる。ー人の根源的なエネルギーが沸き起こる

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私たちの心の中で、母親のイメージには大きく分けて二つの方向がある。肯定と否定。例。一つ「母親はいい人でした。以上です」。もう一つ「母親は大嫌いでした。関わり合いたくありません」。愛憎のアンビバレンツ(両価性)のうち、一方だけが強調され、他方は捨て去られる。一つはいい母親。もう一つは悪い母親。そして二つが混じらないようにする。いい人の母親が、本当には自分に愛情を持っていなかったというようなことには耐えられないから。大嫌いな母親のはずなのに、逆に(どうしようもない現実の母親ではなく心の母親にではあるが)本当は今でも心から愛情を求めていることには耐えられないから。しかし残念なことに、このやり方はうまくいかない。捨て去られた他方が、知らないうちに裏口のドアから入ってきて、私たちを苦しめる。一生苦しむことになる。アコールでセッションを受け、抜けていく人たちは、この苦しみのカラクリを自力で見抜く。セッションのピークでは「いい母親」を殴り引き裂いて殺す。「大嫌いな母親」を慟哭しながら抱きしめる。人の根源的なエネルギーが沸き起こる。苦しみから抜けていく。成長する。

実は、このエネルギーは赤ちゃん時代のものらしい。メラニークラインによれば、おさない赤ちゃんは、もともと、ものごとを部分的に認識することしかできない。本来は一人の自分の母親を、はじめは、いい母親と悪い母親というふうに別々に認識する(「お乳をくれる良いおっぱいとお乳をくれない悪いおっぱい」)。しかし、健全な状況にある健康な赤ちゃんであれば、その部分的認識の状況はやがて克服される。いい母親と悪い母親の二つが本当は一つであると理解する(0歳から1歳の頃のできごとといわれる)。そして健康に成長していく。しかし「悪い母親」があまりにもひどかったり、赤ちゃんの感受性が高くて敏感なときには、本当は一つであることにはとても耐えられない。別々の認識状態にとどまる。ものごとを統合する力に欠けることになる。健康な成長が妨げられる。ひどいときには分裂(統合失調)になる。このメラニークラインの説は、特殊ではなく、クライン学派(英国では中心的な精神分析学派)として世界的に認められ受け継がれている。

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103 最大の鍵、最大の難関ー母親

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自分自身の母親との関係(母子2者関係)を見抜くのは大変難しい。フロイトでさえ難しかった。母親への愛着と殺意(愛憎のアンビバレント)の背後には、自分自身が生きるか死ぬか(生死のアンビバレント)が控えているから。だからこそ最大の鍵、最大の難関。宇宙船の中であろうとどこであろうと、逃げずに体感する人は、手に入れる。

 

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102 小此木啓吾のフロイト批判ー2者(母親)関係からフロイト自身が目をそらす

小此木

フロイトと同世代であった古沢平作の後継者として日本の精神分析学の代表者であったといえる人(故人)。古沢平作の「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」を受け継ぎ、同名の著書(共著)を出版している(創元社)。フロイトの説いたエディプスコンプレックスは、息子から見た父と母との3者関係の葛藤を解明するもので、似た話があるギリシャ悲劇の「エディプス王」から名前が付けられた。しかしベビーブレスで少し深く人の心が開かれると、そのような3者関係よりも、子供から見た母子の2者関係のほうが遥かに重い意味を持つ。フロイトが母子の2者関係をほとんど扱わなかったのは不思議としか言いようがない。「阿闍世コンプレックス」はそのような2者関係を解明するものである。国際的にも注目されている。生涯を通しフロイトに沿って研究してきた小此木啓吾は著書「阿闍世コンプレックス」の中で、そのことでフロイトを批判している。外国の研究文献を引用する形で、母子の2者関係を扱わなかったのは、その2者関係からフロイト自身が「目をそらす心の動き」を持っており「フロイトの防衛が働いていた」(「阿闍世コンプレックス」P55)と。フロイトのような人でも自分の母子関係を見破るのは大変だったということか。姉弟子に木田恵子。

 

引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

101 夢で死を願うも“死にたくない”ー生と死二つで一つ

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<死を願って宇宙船に乗る夢を見た>
私はあまり夢の事を覚えていない性質なのだが、つい最近の夢の事はしっかりと覚えている。その夢は、死にたいと強く願う者しか乗れない宇宙船がある。乗ったら最後地球には戻れない。そして燃料が切れたらそのまま死んでしまう。その中に知り合いの人も1人乗っていた。リーダーらしき人が、「死ぬ前に1人1人皆んなの前で挨拶をしましょう。」と言う。
<でも死をためらった、そして恐怖>
でも、私は死にたいと願い乗ったのに、ただの勢いで死ぬような気がして嫌だった。死にたくなかった。なぜなら、私は死ぬ事がとても怖かったからだ。物凄い恐怖だ。心臓がバクバクし、パニックになる。怖くて怖くてたまらなかった。何故私はこんなに死ぬ事が怖いんだろう。
<死を追い払う人生>
思えば、何故私はこんな風に死を追い払って生きたいんだろう。何故こんなに恐怖がくるのだろう。全く分からなかった。考えても考えても体調が悪くなるばかりだった。病院に行っても検査をしてもどこも悪くない。私は医者が馬鹿なんじゃないかと思った。こんなに辛い症状が出てるのに。何で分かってくれないんだ。どうして助けてくれないんだ。お願いだから助けて‼︎誰か助けて‼︎と思えば思うほど体調は悪くなっていく。そんな人生を歩んできた。
<隠れていた感情の爆発>
そんな時ベビーブレスで本当に初めて自分の感情が爆発できた。それまでもベビーブレスで、泣いたり、手が痛くなるぐらい物を叩いたりして、私は自分を分かっているような気でいた(もっともこの過程もとても大切な事だと後々分かるのだが…)。
そんな私が爆発した。
<実は母親がにぎる恐怖と救い>
なんと、爆発のきっかけとなったその言葉は「お母さ〜ん‼」だった。腹の底から母親を求めた。母親に助けて欲しかった。医者なんかじゃなく母親にどうしても助けて欲しかった。私は昔から母に対して心の中で思っていた事がある。どうして肝心な時に助けてくれない‼どうして私の事を分かってくれない‼どうして私自身を丸ごと認めてくれない。どうして受け入れてくれない。なんで‼なんで‼どうせ私なんか‼どうせ私なんかいなくてもいい。こんな事母親には直接言えない。言うのが怖い。言ったら殺されるかもしれない。はたまた、泣き叫ぶかもしれない。受け入れてくれない母親に言えるはずがない。また私が無くなるだけだから。そんな母親を私は求めた。いや、そんな母親でも嫌いだと思っていた母親でも、私の大好きな大好きな母親を求めていた。私のこの死の恐怖を母親に救い出して欲しかった。だって、私は何も悪くない。母親にとったら私は子供だ。こんな風に恐怖を植え付けたのは母親だ。
<初めて言えたら止まらない「生きたい」>
私は死にたくなかった。死ぬのが怖かった。生きたかった。どうしても生きたかった。でも、生きたい‼と言っては絶対いけなかった。心の蓋を開けてしまうようで、どうしても口に出して言えなかった。でも、私は自分を知りたかったから、私は自分自身を生きたかったから、決意して“生きたい”と口に出して言った。そしたら、なんと止まらない止まらない。この生きたい願望。どんどん口から、いや、お腹から、いや、全身から湧き出てくる。
<生きたいという物凄い怒り>
それが、いつしか怒りに変わった。怒りに満ちながら“生きたい”と叫んだ。でも、なんで生きたいという事にこれ程までに怒りがあるのが全く分からなかった。
夢の続きになるが、知らない人の前で、死にたくないという思いを挨拶の変わりに“寸劇”(セッションとして何度か行ったもの)をしたくなった。夢の中で「死にたくない‼私は生きたいんだ‼」と叫んでは暴れた。それは夢の中でも物凄い怒りだった。
<夢から覚めて素晴らしい>
その怒りのまま目が覚めた。心臓はバクバクしていた。夢の事を思い出しながら「あ〜私は怒りだけで生きているんだ。この底知れない怒りだけで生きているんだなぁ〜」と実感した素晴らしい夢だった。
<怒り=生きる糧>
この怒りのおかげで仕事も家事も暴走するようにできるのだから。この底知れない物凄い怒りに感謝をしないといけないなぁ〜と改めて感じた夢だった。この夢のおかげで、この底知れない怒りには、もちろん私自身の母親に対する怒り、そして、私の母親が母親自身の母(私の祖母)に対しての怒り、またまたその上の母に対する怒りが底知れない怒りとして、生きる糧として私の中にあるのかもしれない。
<代々の生と死、二つで一つ>
私のバックにいる代々の母親たち。私のバックは強い‼そのバックで傷ついた人達の怒りも、そして何をそれぞれの母親に感じ生きてきたのかを分からなければ、私は私の求めている場所へはいけない気がする。そのバックにいる人達の怒りも悲しみも絶望も無力感も生も死も全部私自身だと思うから。
私は生きたいばっかりだと、死はただ追いかけてくる恐怖でしかない。死にたいばかりだと、生きるという事が何の意味もなくただ苦しだけ。両方ともこんなに苦しくて辛い事はない。死があるからこそ生きている。生きているからこそ死がある。当たり前の自然現象なのだから。私は死は恐怖そのものではなく、怖いものでもなく、必ず待っていてくれるものだから、その死に向かって安心して私は私自身を生ききりたいと思う。

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100 原因がさぐれて楽しいー原因となっている子供時代

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昔は傷ついた自分を抑え込む感じがあった。ベビーブレスで解放されてきた。押え込み、抵抗、癖・・・というようなもの(言い方はいろいろ)がなくなっている。現在は同じブレス仲間と自分の癖をオープンに話せている。その癖が付くまでに、(幼い自分が)どれだけ傷ついてきたかと。ブレス仲間も同じように話す。そうするとお互いに(各自の癖や傷を)意識させられるから余計に自覚でき認識しやすい自分が出てきた。自覚や認識がないまま毎日を過ごしてしまうことが少ない。そして、何でこうするんだろうと(原因となっている)子供時代へと繋げていける。楽しい。

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99 木田恵子ー未生怨は珍しくない

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日本に精神分析を導入した古沢平作の愛弟子で、精神分析家(故人)。弟(おとうと)弟子に精神分析学者の小此木啓吾(故人)。彼女が行っていた分析的カウンセリングの中で、母に対する産まれる前からの殺意(未生怨)を出してみせるクライアントは珍しくないと述べていた。また、ご自身の息子さんの死は、自身が与えた小さい頃の心の傷が原因(固着点への退行が原因:著書でも言及)ではなかったか、ということであった。他人にも自分にも、歯に衣を着せぬ人だった。林や諸智も彼女のカウンセリングを受けた。アコールのブレスルームも見てもらったことがある。分かりやすい著書を何冊も出している。「0歳人、1歳人、2歳人」は諸智のお勧め。

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98 古沢平作の「阿闍世コンプレックス」ーむしろ普通

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日本に精神分析を導入した。フロイトと書簡のやり取りがあった。気難しいフロイトに珍しく「東洋の友」と親しく呼ばしめた。体内の自分の命を否定(堕胎など)しようとする母に対し、産まれる前から殺意(未生怨)をもつことがあり、これが究極の罪悪感を生む。命の大恩がある母親への殺意と罪悪感が相争い、根本的な葛藤となる。仏典に似たような話として「阿闍世(アジャセ)王」の物語があることから、阿闍世コンプレックスと名付けている。門下に、木田恵子や小此木啓吾(ともに故人)。

ベビーブレスでは胎児期と思われる記憶が蘇り未生怨や阿闍世コンプレックスの深みにまで到達するのは珍しいことではなく、むしろ普通である。

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97 ヤダと言えないー「ダメ」と言われそうで恐怖

自分は子供の頃にぐずった事がない。子供がヤダ、ヤダと泣きながらぐずるのを見る。自分はそんなのやった事ない。ベビーブレスでやりたくなって、やってみた。やりながら、やはり、やった事ないという思いが、強く出てきた。少ししらける。やった事ないから現実で今更やっても満足がない。

なぜならその奥には『言わなくても分かって欲しい』という気持ちがあったから。でも本当は、「良い子」の自分は「ヤダ」と言ったら(親から)「ダメ」と言われそうで怖くていえなかった。をともなう「ダメ」。そういう感覚があった。だから言えなかったと分かった。

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96 経営者の苦悩・疑似家族ー社員には何とかなりそうな気がする

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中小企業の経営者がよく陥る悩みがある。暖かい家族的な企業にしようと懸命に努力する。その中身を見てみると、満たされなかった自分自身の幼少期の家族関係を修復する努力である。その努力は、対人関係の中で行われる。社員を何とか救おうとする。何とか変えようとする。こころから苦悩する。そして失敗する。実はその努力はもっぱら本人の心の中で成就されなければならない。忘れさられがちである。分かっていてもとても難しい。家族には無力であったが社員には何とかなりそうな気がする・・・・・・?。

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95 私が欲しかったものー母親にして欲しかった

今までは子供たちを叱る時、自分のイライラをのせて必要以上に叱っていた。

イライラが邪魔して本当に言いたい事がちゃんとは伝わってなかった気がする。

ベビーブレスで自分の気持ちがはっきり分かってその事に気がついて子供に謝る事が出来た。

自分のイライラとは別の問題として叱れるようになった。ちゃんと子どもを見られるようになったのだと思う。そして自然と子供との関係が良くなった。

例えば子供がお手伝いをしてくれている間、信頼して待てるようにもなった。子供の気持ちを大事にできるようになった。

わたしが母親にして欲しかった事。

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94 メラニークラインーいつも間にか同じ場所へ

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フロイトは人の心を科学の土俵の上に載せた。彼の後には多くの優れた人が続いた。フロイトの業績は評価されすぎることはないほどに優れていると思われるが、それでも、完ぺきではありえない。彼は息子と父と母の3者関係の秘密を描いて見せたが、母子の2者関係は不十分であった。神経症は得意であったが分裂病はもう一つの感があった。後に続いたメラニークラインは、母子関係を研究した。より本質的な研究になった。分裂(統合失調)病の起源を早期の母子関係の中に発見した。アコールのセッションはメラニークラインに沿っている。彼女の説をお手本にしたのではない。独自の手法がいつも間にか、彼女と同じ場所へと導いた。

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93 フロイトー後に続く人は進むことができた

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人の心を解明する上でフロイトの功績は大きい。心には自分では普通には認識できない大きな領域(無意識)があり、その領域を認識することができれば心の病気(当時は主に神経症)を治せることを実践して見せた。なぜ認識できなくさせてしまうのかも、かなり解明されている。心をいわば科学的な土俵の上に載せることに成功した。科学的であるため、後に続く人は彼の功績の上に立って進むことができた。積み重ねができた。過去には作家や哲学者など、人の心に対する優れた洞察力を持つ人は大勢いたが、文学的であり、積み重ねがききにくい。いわば、その人一代限りである。そこが違った。

アコールのセッションも無意識に焦点を当てる。解明(分析)と認識が中心になる。会話(カウンセリングや自由連想法)だけではなく、ベビーブレスを行うので、進みが格段に速い。

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92 続おちんちんべーほんとに言ったの?

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続おちんちんべー:孫の話その5(健忘)
以前、孫の話その3で、孫娘なーちゃんに、「おちんちんべー」と言われ反抗されてしまった私の話を愉快なこととして載せたが、実は、その続きがある。
何年か後になった最近のこと。その話を誰かから聞いた孫娘は、私にほんとに「言ったの?」と聞いたので、私は「言ったよ」と答えた。彼女は覚えていなかったのだ。
健忘である。何が起きたのか。彼女の持つ強烈な拒否つまり攻撃性が、「おちんちんべー」で実行され、彼女の大切なもの[頼りにしていたジイジ(私)ひいては心の母親]を殺してしまうという恐れを引き出し、実行してしまいたいという気持ちとの葛藤から罪悪感が強くなって耐えられず、「おちんちんべー」の場面をすっかり消し去ってしまったのだった。彼女の中では深刻な心の動きがあったのだ。愉快な話と言うだけではなかった。

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91 隠れた正気、本当の人格ー見渡すように理解しないとできない技

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なかなかうまくいかないケースがある。ケースによって症状はいろいろである。症状に振り回されてはいけない。共通するのは、幼少期の記憶がほとんど思い出せないことである。そして思い出せないこと、そのことさえ隠されている。思い出すことを促しても、スルリするりと他のことに話題をすり替えられてしまう。
しかし、実はそのことこそが、その人の隠れた正気である。隠れた本当の人格である。絶対に思い出したくないことが、何であるかをよーーくわかっている。思い出したくない「そのこと」を微塵もあらわにしないように、神業的に巧妙に隠すことができる。全体を見渡すように理解しないとできない技である。その正気の人こそ、複数のバラバラの人格を統合できる能力を持った、鍵となる人格である。

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90 勝負ー退路を立つ

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心の不具合が大きくて家族との間にトラブルが発生し、そのトラブルに困っている場合には、カウンセラーを交えて家族全体で話をし、自分に何が起きているのかを理解してもらうのは役に立つ。理解してもらうことで、針のむしろ状態から脱し、居心地が良くなり、症状が和らぐことが期待できる。
症状が和らがなかったり、和らいでもしばらくして復活してしまったりする場合には、いよいよ自分の心の中を探る。家族の理解を得ているので次のステップへ進みやすい。不安や恐怖を扱い、根本的なケアを目指す。得体の知れない不安や恐怖には耐えられないが、そのカラクリが分かってしまえば、耐えられる。人間への理解も進む。不安や恐怖を扱うことができれば症状はより緩和することが期待できる。
緩和があっても十分ではない場合には、根本的なケアの徹底を考える。不安や恐怖を扱うということがどんなことなのか感覚的には慣れてきているので、次のステップへ進みやすい。不安や恐怖から逃げてしまわないように自分の退路を立つ。そのための外側の準備をする。外側の工夫をする。自分でする。内側ではどうしても逃げてしまうということがあっても、外側の工夫はできる。その工夫をするうちに、知らないうちに心の決心がつくことがある。いよいよ人生の勝負である。

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89 花火大会が見られるよー新居は高いマンション

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準備してきた引っ越しが本日いよいよ本番です。新居はマンションの高い所で眺めが良く、夏は東京近郊の花火大会がすべて見られそうな勢いです。カウンセリング勉強会などぜひ遊びに来ていただければと思っています。

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88 アクセス禁止はその日のうちに回復

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本日平成28年3月10日アコールホームページへのアクセスが禁止される時間帯がありました。アコールホームページの管理サーバーへウィルスが侵入してしまったためです。この管理サーバに所属する他のホームページの全てもアクセス禁止になり、ウィルスの拡散が防止されました。アコールのブログやホームページを楽しみにしている方々へご心配をおかけしましたが、その日のうちに回復しました。以上ご報告します。

87 不思議ふしぎーイやな人イヤでない人

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長い間抑え込んでいた怒りや悲しみを、何とか表現することができるようになると、大きく前進する。しばらくは、前進の時期である。しかし、その後、停滞する場合がある。表現する心地よさのみが先に立ち、表現することだけが主体となってしまう。すると弊害が起きる。前進が止まる。いかりや悲しみのさらに下にあるものに対して、いつの間にか、避けるようになる。この回避を快く思わない人と、回避と仲良くなってしまう人と、二つのグループに分かれる。避けることは、イヤーな気持ちなのか、イヤではないのか。同じ人間なのに。不思議、ふしぎ。

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86 自分自身で納得ー誰かの教えは人の教え

 

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迷っていて、苦しくて、五里霧中(ごりむちゅう)の時には、誰かに助けてほしい、誰かの教えを乞いたい。しかし、教えは[自分ではない]人の言葉、人の理解、人の感覚です。そのため一時的なヒントにしかなりません。その段階が過ぎると、物足りなくなります。弊害も起きます。自分自身で納得したくなります。そのようにして、自分の感覚で進むようになります。はじめて自分を観ることができ、納得し、自分の変化も実感できるようになると、その作業に夢中になります。

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85 ブログの閲覧をありがとう

ブログ閲覧グラフ

ブログ閲覧地域

いつもブログの閲覧をありがとうございます。

ここ30日の閲覧の件数グラフと、閲覧者の地域を、お知らせします。閲覧件数を伸ばすことで、アコールホームページの検索順位を高めることができます。お役にたてるブログになるように日々奮闘しています。よろしくご支援ください。

 

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引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

84 自分の問題?心の問題?ー怒ってはいけません

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セッションを受けようとする動機は、人それぞれです。例えば、子供の問題、夫との問題、姑との問題、職場の人間トラブルなどの人間関係の問題。アルコールや浪費などの物への依存の問題。
早く成長する人は、これらの人間関係や依存の問題の奥に、自分の問題、つまりは人間個人の内側の問題が隠れていることを見抜きます。
なかなか成長のきっかけがつかめない人は、人間関係や依存の問題を、自分の外側の問題ととらえてしまいます。個々の具体的な外側の問題のみを解決することに気を取られてしまいます。自分は単なる被害者に過ぎません。
グループカウンセリングなどに同席すると、自分と同じ外側の問題につかまっている人に出会います。いわばその人を通して自分を客観視できます。やがて、本当の問題は、内側の、つまり自分の問題であることに気が付きます。そうして、隠れていたいろいろなことが、見えてきます。
自分の問題だと言われて怒ってはいけません。心の問題だと言われて憤慨してはいけません。人の問題を解決するのはそれほど難しくありません。極論すれば、その人から逃げればいい。外側の問題を解決するのはそれほど難しくありません。極論すれば、お金があれば解決する。しかし、あなたはそれで満足するでしょうか。自分の心の問題はとても難しいです。どこまでもついてきます。そして、自分自身が、自分のわなにかかっています。そのことがわかりません。
用心しながら進むべきです。もし自分の心の問題で少しでも成果を上げれば、その効果はオールマイティーだということを実感します。不思議なことに、自分は変わっていないのに世の中のほうが変わったと実感します。はじめてあなたは満足します。生きやすくなります。

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83 人への依存ー泥水でも飲む

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例えばカウンセラーへの依存は、長く続くと自分の成長のためには障害になります。
自分の成長が起きる前には、人からの愛情は必要でしょう。その愛情は、仮に本物ではないにしても、魅力的に感じられます。しかし、その状態が長く続くのは、これは依存です。このように人への依存があると、人から受ける評価の内容が重要になり、自分が成長しているふりをしなければならなくなります。裸の自分ではいられなくなります。気が付かないうちに自然とそうなってしまいます。
そのような状態に落ち込んでしまったら、依存の理由を探ればいい。依存には理由があるからです。自分には愛情が必要だ。仮に偽の愛情でさえ、喉が渇いて死にそうなときには泥水でも飲むように、求めてしまう。求める気持ちがあまりにも強いので、人からの肯定的な評価が欲しく、事実ではなくても自分が成長しているふりをする。自分にお化粧をしなければならない。そのことに強く気が付けばいい。
他人への依存から脱出するには、自分の判断や感覚を大事にすればいい。ほんの少しでも自分の成長が起きれば、微妙でも、独特の心地よい感覚があります。その独特の心地よさがもっと大きくなるように追求すればいいです。その追求によって何かが分かったとき、曇り空が晴れ渡るような心地がします。それを洞察と呼びます。本当の成長がやってきます。

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82 車道の真ん中へダーーッ楽しい人生

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車道の真ん中へダーーッ:孫の話その4(反抗2)
私の娘の子供つまり私の孫、名前はみーちゃんである。彼とはよく散歩に行く。迎えに行く私を、彼はダンスしながら出迎える。散歩は彼にとって大きな冒険の場。家ではできない大きな反抗の場でもある。できるだけ彼の好きなようにやらせる。大きな怪我をしないようにするだけが私の役割である。
彼にはたった1つ禁止してることがある。車道に出てはいけない。命にかかわるから。ところが、この禁止が、彼の標的になる。彼は、歩道から車道ぎりぎりに立ち、こちらに背中を向けて立つことがある。またやるなと思う。「それはだめだよ」私の小さめの声を背中に聞きながら、彼は、車道を車が走っていないことを確認すると、車道の真ん中へダーーッと駆け出す。彼の決然とした反抗である。この話を、私の気持ちの上の孫娘、なーちゃんにした。なーちゃんはそれは愉快そうに笑った。同じ話を別の日に、みーちゃんのいる前で娘に、した。娘は普通に聞いているだけだったが、横で聞いていた本人のみーちゃんは、はにかみながら、とてもいい笑顔になった。大人はよく理解できないが、子供はよく理解している。ベビーブレスをマスターすると、よく理解できる大人になる。子供のように楽しい人生を送れるようになる。

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81 おちんちんべー見事な反抗

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おちんちんべー:孫の話その3(反抗)
私には血縁も法律上の縁もない気持ちの上の孫娘がいる。名前をなーちゃんと言う。私といるときは天真爛漫である。子供らしさの塊(かたまり)である。しかし、生い立ちを背景にして、強烈な否定を持っている。嫌なことには全く妥協しない。ある時、なーちゃんをコメダ珈琲に初めて連れて行った。彼女は公の場に慣れておらず自分の部屋の中と同じように大はしゃぎした。私は連れてきた事をコウカイしたが、シカタナク、社会性を教えようとして、彼女を抱っこし、店内を一巡した。「ほらこのお兄ちゃんは一人静かに勉強してるんだよ」「この人たちは仲良く見つめあって時間を過ごしたいんだよ」「このおじさんは静かに新聞を読みたいんだよ」などといいながら。元の席に戻って彼女を降ろした。彼女はしばらく柄にもなく考え込んでいるように見えた。一瞬おや?まさか本当に納得したのではあるまいに?と私。やがて彼女は自分のスカートを持ち上げ大声で「おちんちんべー」と言った(彼女はもちろん女である、念のため)。この見事な反抗に、私は心から大笑いした。こんなふうに私もまっすぐに反抗して見たかったとつくづく思ったものだった。もっとも、できなかったおかげでブレスを始め色々なセラピーを経験させていただいた。

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80 本物は高くつくが美味しいー他人には依らないもの

 

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引っ越しの準備がかなり進んだお祝いに、知人に教えてもらった魚屋さんで、シマアジの立派なのを買った。贅沢した。3枚におろし、刺身とアラ煮で食べた。驚くほど美味しかった。地方の冷たい海で獲れた天然もの。いつも食べる養殖とはちがった。高かったけどやはり本物は美味しい。

他人からのかりそめの愛情や慰めは、手に入りやすく、ついつい頼りがちだけれど、なかなか本物にはなりにくい。自分自身が気づき変わった時に本物が手に入る。他人には依らないもの。苦労するし痛い思いもする。高くつくけど本物は美味しい。比較にならない。

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79 心の傷の深さー傷の元は母親

Couleur / Pixabay

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心の傷の元は、その傷が深ければ深いほど、母親であることが分かってくる。分かったとき人は自分の心の傷の深さを、初めて理解する。傷の一番深くでは、生と死がいっしょにいる。その母親にも、傷の元となった母親がいる。そのようにして祖母、曽祖母へとさかのぼっていくことができる。自分の心の傷の深さに呆然とする。

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78 自立の芽ー母親は自分が自立したら寂しくて生きていけない

ユリちゃんは自立できない。大学を卒業しても就職できない。感情もない。

自分はおかしいと思い在学中にアコールに来た。段々わかってきた。

自分は母親に「殺された」。自立しよう、生きようとする力を与えられなかった。母親は、十分な愛情を与えることができなかったにもかかわらず、彼女自身の寂しさから、ユリちゃんを囲い、離さず、自立させなかった。

自分は自立できないようになってしまった。自立できなくなった自分は母親の下でしか生きていけない。反発するならまだしも、心の中では母親の下に居ることを望みさえする。一時は母親をなんとか変えようとしていた。と同時に自分でも、自力で自立しようと焦った。しかし心の中は、自分でもなかなかうまくいかない。この状態が相互依存とか、相互癒着とかと言われる。外から投げ込むような冷たい言葉。

今、変化が起きてきた。母親は自分が自立したら寂しくて生きていけない。そのことがわかる。母親の寂しさがわかる。母親はかわいそうと初めて泣いた。事実を観て、感情が出た。

本質を観ぬいた心からの感情。自分を取り戻す大きな一歩。

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77 母親の意向に沿う

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母親へのアンビバレンツに私たちは手こずる。人生そのものの困難さ。子供であった私たちは、母親へのアンビバレンツ(愛憎)を心に持ちながらも、生きるためには、はからずも母親の意向に沿おうとする。自分を支えてくれる不十分な愛情を維持するため。そのことを観抜くことができれば、大きな手掛かり。

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76 「何が」?「愛情」さえ軽薄

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「何が」?
与えられなかったことが分かる。「愛情」という言葉さえ軽薄。やがて「何が」与えられなかったかを知る。自分の中に不足があることが分かる人は幸運。遠からず「何が」不足かを知る。楽ではない。平坦ではない。セッションは全てそこに焦点を当てる。知る前には理解できない。知って初めて理解できる。

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