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怒りを力に強く生きていくと誓ったのに吃音、視野狭窄、下痢|セラピーの現場から(671)

<<最近の私は物凄く落ち着いている>>
最近の私は物凄く落ち着いている。とても安心できる場所にいる。調子がいい。
それは「見捨てないで」というセッションを行い、自分自身の深い寂しさや怖さ、そして私の願いがどうやっても叶わないという弱い自分、を観られたからだと思う。(このシリーズは(671)~(674)まで連続します)

<母は私に意識がなかった>
私が母のお腹の中にいる時から母は私に意識が向いていなかった。父の事で精一杯だったし、母は自分の中にある小さい時からの被害者意識で一杯だった。
母の怒りや憎しみ、恨み、寂しさ、母自身の生への否定を、負の感情を、私はお腹の中で感じていた。私がお腹の中にいる時から母は私に意識がない。
<死ぬ事が出来なかった>
私は、自らの意思で生きるのを諦めようとした時に、帝王切開で産まれた。死ぬ事が出来ずにガッカリし母に従って生きる事になってしまった。自らの意思で死ぬ事が出来なかった。
<乳児のときに捨てられた>
私は8ヶ月か9ヶ月の頃、母に置いていかれた。母は私を置いて家出をした。父は私の面倒を見られないので母の実家に預けた。私からすれば、母に捨てられ、父にも捨てられた。その事で深く傷ついた。意識のない母。お腹の中でも感じていた事が産まれて生きているこの時もハッキリと味わった。
<純粋な求める気持ちは裏切られた>
預けられた私は母を求め、母を呼んだ。呼んでも呼んでも母はいない。何故呼んでもこない?私の純粋で真っ直ぐに母を求める気持ちは、裏切られた。そして小さい私は無力だった。深い寂しさがあった。純粋にただ母を求めているだけなのに、この純粋な気持ちがどうにもならない事に怒った。
<怒りが恨みに呪いに><無力な自分も許せない>
怒りが段々と恨みになり呪いになった。
母を含め母の一族も許せない。そして私は自分の無力ささえも許せなくなった。自分の無力さに絶望し、その弱くて無力な自分が許せなくなった。絶対に弱くなってはいけない。強くならなければいけない。
<怒りを力に>
弱い自分が1人でいる事がどれ程怖くて寂しくて情けない事か。置いていった母も許せないが、それ以上に1人ぼっちで無力な自分が許せなかった。弱くなってたまるものか!絶対に強くなくてはならない!と固く誓った。 怒りを生の力に変えて強く生きていく事になった大きな出来事だった。
<吃音、視野狭窄、下痢>
その後も私は固く誓ったこの守りを奥にしまい込み成長した。
小学生になった頃、緊張すると吃音になったり、視野が狭くなり目が見えなくなって心療内科に通った。
<弱い自分が出ないように>
1人になる寂しさや、1人を匂わすような事があると、この許す事のできない弱い自分が出てくるので、弱い自分が出ないように必死になっていたんだ、と思う。弱くなってはダメだと自分を抑えている結果、吃音が出たり、視野がおかしくなったり、すぐ下痢をしたりと体に症状が出ていた。
<<次回に続く>>

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