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産まれたことを罰する自傷行為|セラピーの現場から(672)

<<前回(671)からの続き>>
<一人で恐怖と戦う>
奥に追いやったはずの弱くて1人の自分が、無意識に出てきそうになると、その弱い気持ちが出てこないように、必死で母に助けを求めた。母に助けて欲しかった。
だが、母に助けてもらう事は出来なかった。結局1人で何が何だか分からない恐怖と戦うことになる。もっと強くいなければ。
<父の家庭内暴力><死に場所探しに私はいない>
父の家庭内暴力を見て恐怖を感じ、それでも大好きだった父の事を大好きと言えずに、父を嫌っている母に従い私も父を嫌った。
私の大好きだった父も問題のある人でお酒を飲んではよく暴れた。父の家庭内暴力に耐えられず、母は私を連れて家出をした事があった。死に場所を探すためだ。
この時も母は私に意識がない。私の人生は?死に場所探しのドライブは、今思い出しても、恐怖そのものだった。父が暴れている恐怖、そして私の意思など無視をして自分の事しか考えていない母。私の本当の気持ちはますます奥の方へと自ら抑え込んでいった。

<見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで>
大好きだった父が自殺をしてしまった。この時私は父がいなくなってしまった事が悲しかった。
全身から溢れてくる寂しさから父が火葬される時に泣いた。この時泣きながら父に言いたかったのは、『私を置いていかないで、1人にしないで』だった。私が1歳前に味わった「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という事を無意識に思い出したのかもしれない。大好きな父に置いていかれたくなかった。一緒にいたかった。今だからそう思えるが当時は訳も分からずに溢れ出てくる悲しさでとにかく泣いた。この「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近まで無意識に閉じ込められており、ようやく意識化できるようになった。ようやく、深い部分の傷の受け入れが起きてきた。
<産まれたことを罰する自傷行為>
思春期になれば怒りを鎮めるために自傷した。死ぬ為ではなく、自分を傷つける事で、生まれてきてしまった私を私が罰していた。母に邪魔にされ、いらないと思われ、母の中に私が存在しない。母は自分の事だけ。私を利用するだけ。そして、どんなに純粋に母を求めても意味がないと感じ自分自身も無力に感じる。こんな無力な自分、弱い自分を自ら罰した。強くなれ!と罰していた。そのことろ、私が堕胎した子供も、何もなかったかのようにポイッと意識なく殺した。
<<続く>>

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