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私もお母さんが嫌い|職場への不満と母への依存5/6|セラピーの現場から(680)

<<(679)の続き>>

<私も嫌い><一人ぽっち>
お母さんが立たされている状況も自分が立たされる状況も厳しい。お母さんからの拒否された感じ。確かに私は受け入れられていない、関心がない感じが、分かる。私も「お母さん大好き」でやって来たけど、そう言うお母さんのことを「嫌いだ」と言うところからやろうと思う。そしたら一人ぽっちになる。
<人はどうでもいい>
私は職場でまた調子が悪くなって、馬鹿な“男”だからと社長にも上司にも挨拶を無視したりしてつっけんどんにしている。強い威勢のいい女風ではあるが、実際にはこの間父の入院直前に家に来た兄とは向き合いない、でたらめな私だ。そしてお母さんのようにお調子者で身の入らない仕事をしている人にも、腹が立ってくる。怒りながら仕事している。その話を母にした。母は言った。
「上司なんて、(あなたが)会って何年もしないのに(あなたのその調子の悪さに責任があるはずもない)そんな人はどうでもいい人だ。(責任があるのは)本当は私なんだ」と。
<私も嫌いかも→胸ギューがなくなってきた>
母と言い争いになった時に「私も嫌いかも」と言った。母が私を嫌いというのを信じたくなくていたが、私もお母さんを嫌いかもと言ってしまった。お母さんがまた私を操ろうとしても見破る、お母さんが本当は嫌いだという所から始めてみようと思おう、と言ってしまった。
職場で胸が苦しくて仕事をしていたが最近はそれがなくなってきた。何かあっても冷静に考えられるようになってきている。先日も職場でちょっとした失敗をやらかした。前は自分の失敗(お母さんに嫌われていること、自分自身が肯定されていないこと、すなわち自分の正体)を隠さないといけないから、時間に追われて胸がギューっとなっていたが、それがなくなって来た。
セッションに行く日も満員電車で座れるとか座れないとかで、いつもなら胸がギューっとなるが、ならなかった。隠したいものがあったからそうなっていたのでは、と思う。
隠したいものとは?最初から一人ぽっち。お母さんを嫌いで嫌われていたこと。肯定されなかったこと。それは気が狂いそうな寂しさ、悲しさ。それら自分の中にあるもの。
<傷そのものを出せるようになって来た>
前回のセッションで初めて自分の傷に触れたような感じが忘れられなくて、また、セッションを受けた。始め、この前のようには入れない。入ろうと、職場の自分とか思い出したりした。でも、狂気の自分、怒りも何もわからないような自分に、なった。狂ったように体を動かした。お母さんと兄が組んで一緒になって私を粗末に扱った感じ。もうそこには、いいお母さんはいなかった。
ニュースで虐待の子が報道されている。その子(いらない子)が出て来て、自分にリンクして泣けて来た。虐待の方法も環境も違うが、泣きは同じだなと。お腹を蹴られているように苦しくて泣いていた。狂気の自分にも入れるようになって来たが、虐待された子の傷の感情が出て来た。人のことでリンクして泣いているが、本当に自分の中から泣きが出て来た。本当は泣きたかったのに泣けなかった。追体験して泣いている。ただ泣いている時に、傷そのものになって来た。

<<続く>>

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愛情が欲しいけれど生きたいと思えない|職場への不満と母への依存1/6|セラピーの現場から(676)

彼女がセッションを始めたのは職場への不満に取りつかれて身動きが取れなくなっていたためでした。背後には母親への強いあからさまな依存がありました。もともとは母親との相互依存が始まりでしたが、母親はセッションにより依存を脱出していました。
あたかも母親への満たされない思いが職場への攻撃になっているようでした。母親は依存させてくれなくなりつつあったので彼女はいよいよ孤独でしたが、その孤独に向き合わざるを得ないために、一筋の光もさしてきました。
<愛情が欲しいけれど生きたいと思えない>
愛情が欲しい。何故か分からないが泣きから始まって、お母さんの愛情が欲しいでなく、みんなの愛情が欲しいになっていて、気持ちが欲しい、関心が欲しい、好きになって欲しい、愛が欲しい。そういう気持ちに支配されていた。(お母さんは今はセッションをしたため自分の傷に気づき、ちゃんと関心を持っているが昔は)母の愛情もなくて来たから。
愛情が欲しいだけの私。それだけ。自分がない。
でも、セッションで「愛情が欲しい」とやると、本当に一杯もらったら死ぬとしか思えない。愛情を貰って死にたい。「死にたい」がある。
<型にはめて生きようとする><でも生きる資格がない>
私の中では「生きていて良い理想の人像」があって、どうしても本当の自分を無視してそこに収めようとしている。
(もともと母親に望まれず)要らなかった自分、死にそうな自分を守ろうとして、だんだん分からなくなって、型にはめて生きようとする。が、分からなくなって、生きる資格がない。生きたいと思えないのが(セッションでの)一番の泣きだった。(それは始めは)何だか分からない感情だったが出て来て良かったなと、思えた。
「生きたい」とやっても「死ね」と返って来る。「生きてはダメ、死ね」という自分に泣いた。私には生きたいというのがないのか、目標は愛情を貰って死ぬんだとなってしまう。
価値のない自分に泣けた。生きたいという価値も資格もない自分。その自分も隠そうとして見ないようにしている。うまくいかないと、頭だけで理想像に走って、(本音や感情がなく)泣けない。そんなセッションをやっていた。
<父親の危機的病気>
そうしているうち父親がトイレで倒れた。知り合いが癌の末期と聞いたショックからだった。脳梗塞だった。救急車を呼んだ。フラフラしながらも自分で歩いていたので大したことはないかと思っていたが、大手術することになった。
そもそも父は、いても、いないようなものだった。いないのは慣れている。金銭的支えはあるだろうが、心の支えでない。かえって、自分の心の空白と向き合えない父が四六時中かけているテレビの音がなくなって良かった、と感じていた。
それよりもお母さんが、病院に行くことで、疲れがあって、心配にはなった。
<自分の「惨め」さを境遇(職場)のせいにし、左右に揺れ、時間に追われて・・。>
そうするうちも相変わらず、職場のことで何回も母と喧嘩した。自分は職場を辞める、辞めないで左右に揺れて両親に愚痴を言った。そうしたら「生き死にがかかった人(父)に言うな」と母に怒られた。辞めたいなら辞めて「好きにしてくれ」と言われた。喧嘩した後、仕事に行きたくなくてじっとしていた。本気で辞めようかと思った。
でも職場に行くと、私だけ作業の「時間がない」とガガーッとやる。怒りながら作業をしている。時間に追われて胸が苦しく楽しくないまま、「急げ急げ」で1日が終わる。
<明日になるのが怖い>
最高に苦しかった時など、休日に日が沈むのを見ると、胸が苦しくなり、明日になるのが最高に怖い時があった。明日になるのが嫌だから死にたいと本気で思った。人に会いたくない。
<いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて愚痴る>
そんな気持ちを引きずって仕事場のドアを開けた瞬間に、仕事イケイケどんどんの自分が出てきて、怒りの勢いでうれしくも楽しくもない気持ちですごい勢いで仕事をこなすが、人への敵対心を隠すようないい人、いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて親に愚痴る。
まるで自分で自分の頭を鈍器で殴って気絶させて胡麻化しているような、嘘だらけの毎日である。仕事のせいで私は本当のなりたい自分になれないと思っていた。

<<続く>>

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