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生きているお前はいらない| 母子相互依存|セラピーの現場から(645)

○母との相互依存から抜け出せない。なんとか自立しようとする気持ちがある。その反対に、共依存のままもっと一体化したいと言う思いが隠れている。その思いをなんとか、なくそうとしている。でもなくならない。強くなる。その絵を描いた。もっと一体化したいと言う気持ちでセッションが進んだ。ところが、そうすると、一体化の主導権を自分が握ることになり、母親は主導権を奪われ、離れていくと言うイメージが出た。相互依存から抜け出すきっかけが現れた。
○<母に対する憎悪から自立へ向かい空っぽの自分の正体へ>
母との相互依存に苦しんでいる。今まで母に対する憎悪を扱ってきた。そして、ようやく母からの自立の感覚が出てきた。前回のセッションで、自立を扱うにつれて、自分には感情がない、空っぽだと分かった。寂しいと言う感じが出た。これが自分の正体かもしれない。すると、その後の生活で、1週間くらいはぼんやりやる気が出なく眠い。昼寝してぼーっとしている。母から離れられず、本当に自立する勇気が出ないのかもしれない。でも自分で食材を買って来て料理をしようとしたり、それを食べて美味しいと感じる。喜怒哀楽や聴覚、味覚が戻って来た。悲しいときは泣くし、楽しいときは笑えるようになった。自立に向かっている自分の来の感覚がよみがえったのかもしれない。
この本来の感覚を今までなぜ失っていたんだろう。今まで色々なことを感じ過ぎるので、感情をなくして生きるしかなかった。感じ過ぎて反応すると(母からの)罵声が返ってくる。母が感情を切っている(OFFにしている)人なので、(私も)感情を持つことはいけないと刷り込まれたと思う。ちょっとしたことで嬉しかったり悲しかったりするのが本来の私に近い。
○<揺り戻しのように、自立したくない気持ちに向き合う>
つい最近、母に病気が見つかって、大慌てだった。手術はしなくて済んだが。母以上に、自分が慌てた。パニックになったらしく生理痛もひどかった。外に出られない。人と話すのが怖い。人と接するのが怖い、自立するのが怖い。自立できないという気持ちが、より本音に近い。自立できないという方が中身が入っている感じがする。
○<母と団子の絵>
自立したい自立しなければならないんだという気持ちの陰で、自立できない(したくない)という気持ちを否定し隠してきた。そこがネックになっている。そこで母と離れられない(離れたくない)という絵を描いて見た。自分と母が一体に団子(だんご)のようになっている絵、母が私を食べる絵、私が母を食べる絵だ。この絵をテーマにセッションを進めた。
○<隠れていた本音のセッション>
お母さんと一緒にいるのが怖かった。お母さんと「一緒にいる(いたい)」と言ったら、その途端にバイバイしなくちゃいけないと思っていた。お母さんと「一緒にいる」って言ってみたい。3歳の自分が言っていた。言っても(自分では)認知したくないことだった。お母さんと「一緒にいる」と言うことは3歳の自分が「生きる」ということだ。でも、本当に生きることは(母からの縛りで実は)叶わないことなので、いつも、死にたいと思っていたから、言えなかった。「生きたい」と言ったら嬉しかった。「一緒にいる」ことの主導権を、母ではなく、私が握った。死にながら「一緒にいる」のではなく、生きて「一緒にいる」ことを選ぼうとした。
<生きているお前はいらない>
そうしたら、(イメージとして)後ろからお母さんが出て来て、死んでないお前はいらない、生きているお前はいらないと言われた。
<本当に一緒になりたかった>
悲しかったし腹が立った。生きたいのを認めないのを許せなくて嫌だ、と母を殺したというより、こねた。(母に見立てた)座布団をこねた。今までのような状況でお母さんと生きるのは、私は死んだままだから嫌だった。でもお母さんを殺すことができない。できないのが嫌だとお母さんをこねていた。こねることで殺し始めていた。自分とお母さんが混じる感じだった。混じって一緒になって気持ちよかった。本当に一緒になりたかったんだ。
<バイバイ>
その瞬間お母さんはいなくなった。寂しい、辛い。いなくなった。混じったらいられるかと思ったがいなくなった。これから生きる決意を小声でバイバイお母さんと言った。寂しいし悲しいし、でも嬉しい。いなくなって嬉しい気持ちがあった。寂しさと嬉しいので泣けた。ずっと泣いていられる感じがあった。途中でやめた。もっと泣けば良かったな、と思いながら泣いた。
セッションが終わった後、足も軽いし、肩も軽い。不安もあるが、今回のセッション前は「お母さんと離れられなくて、これからどうしょう」と思っていたが、今は「私一人だし、これからどうしよう」だった。離れて一人になった。ご飯も美味しい。今回のセッションは自力で初めて掴んだ感じがあった。
<登場した「大好き」>
次の日のセッションでは、泣き足りなかったところからやった。「お母さん」と叫びたかった。以前は、こっちを向け、憎い(憎悪)、だったが、「お母さん」ダーっとボロボロ泣けた。「大好き」とやると、死んじゃえよとなってこねる。大好きと憎悪があって良いんだと思った。以前は、死にたいばかりできたが、生きたいもあって良いんだと思った。殺せなかった母を2回殺したし、あなたが生きたら私が死んじゃうと言うので「ふざけんじゃねえよ」と、やれた。死んだお母さんを抱いていたら安心した。落ち込むのと、寂しいのと、嬉しいのと、ため息だった。
生きていて良いぞと笑いたかった。「愛おしいお母さん」とやれたのが嬉しかった。お母さんと二人でダンスした。生きることも死ぬことも怖くないなと思った。母を本気で愛し本気で憎まなければ、本当の自立はありえないのだと思った。

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