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悲しみは嫌で怒り|抑えて過呼吸|観察し不思議|セラピーの現場(607)

(575)(579)(583)関連
ベビーブレスの感想を送ります。
ひたすら呼吸をして、グゥーと抑える感覚になりました。我慢の時に味わっていたような締め付けるような、圧力のような感じです。訳も分からずに過呼吸になりそれが嫌で、いつもなら「わぁー!!」と怒りを出していましたが、怒りではなく、泣きながらそこにいられました。泣きながら味わえました。(悲しみ自体はやはり)嫌な感じですが、味わえてる感じで不思議と気持ちが良かったです。凄く良かったです。
今まで、小さく小さく弱く弱くなる感じをベビーブレスで何回もしましたが、その時に味わった感じと全然違いました。グゥーと抑えるような小さくなる感じを味わっているのですが、観ている感じでした。観察しているという表現の方が近いかもしれません。その感覚を思い出していると、不思議だし、面白いです。 初めて味わうベビーブレスでした(*)。
(怒りの)感情を抑えているのに力がある事を知りました。あれだけ怒りがあるのだからと分かってはいましたが、抑えている力も凄いものだな…と改め知らされた感じでした。本当に初めて味わうブレスで、とても良かったです。
(*:「過呼吸」として存在するエネルギーを、それまでのように怒りとして外側へ出すのではなく、内側へ留め悲しみとして引き受け、それを観ている感じ、と理解できる。)

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怒っても怒っても物足りない|その奥に寂しさの物凄いエネルギー|セラピーの現場から(575)

セッションでは、私はいつも激しい怒りが出ます。以前はこの怒りを抑えることで心のトラブルを抱えていました。セッションで怒りを存分に噴出させることで自分を徐々に回復できてきました。
しかし、だんだん物足りなくなってきました。納得できなくなってきました。今回のセッションも、怒っても怒っても、物足りません。全然納得できませんでした。
そうしたら、怒りの奥には恐怖がありました。怖くて怖くて本当に怖かったです。寂しさや孤独という簡単な言葉では表したくない程の寂しさや孤独と共にいました。「泣いて良いんだよ」や「しっかり味わって」の言葉かけをしてもらい、そのようにしたら、また泣ける泣ける。永遠に泣けていられる感じでした。泣けるエネルギーは、 怒りと同じエネルギーでした。怒りよりも上回っていたと思います。怒りのエネルギーが小さく感じるぐらい、物凄いエネルギーを感じました。そのエネルギーを感じると、また泣ける泣ける。泣けるというよりは、溢れてきました。自分では抑えようがない程溢れてきました。はじめのセッションが終わり、最後は、マットレスに倒れ込む瞬間が幸せでした。
次のセッションでも、また溢れる感情が出て泣きました。その後は嬉しさなのか、自然と顔がニヤケ笑いながらセッションをして、倒れこみました。倒れる時は幸せ?というよりは快感に近いかもしれません。(*倒れるのは「死」の受け入れの意味があるのかも)
自宅へ帰ってきてから、今もドローベターとしていますが、芯はシャン!としている気がします。帰る間際に、「ますます美人になったね」と言われましたが、帰ってから旦那に「化粧しすぎてるの?」と言われました…笑。 自分でも肌の色がワントーン明るくなったように思います。若返った~と嬉しいです。
ここ(怒りの奥の寂しさや孤独の場所)に、いつまでいられるか分かりませんが、諦めずに居続けようと思います。怒りよりも更に深い寂しさや孤独(まだ「これ!!」という言葉が分からないのでこう表現します)がありました。それを隠すかのように怒って怒って怒ってたのかもしれません。不思議と帰ってきてからも怒りが出てきません。あの、(いつもお馴染の)フツフツとした怒りが出てこないんです。ちょっと寂しいですが…。

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321 私は観たぞ

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母から本当の愛情はもらえなかった。私を怒りで支配しようとした。支配を受け入れ母に同化してやり過ごした。その悲しさを補うように、子どもたちを手放したくなかった。幼い子供たちは可愛かった。今は子供たちとの関係性が悪くても、あきらめきれなかった。生きるのが不安で一人ぼっちで死ぬのが怖い。そういうことだと、うすうすわかっていたが、どうしようもなかった。
セッションをした。
母が死んでいくお別れのシーンだった。看(み)取りのような感覚だった。母と関係性を結べなくて別れる悲しみ。泣いていた。
次は怒りが湧いてきた。母は、私にどうしてもいうことを聞かせようとするときに握り拳(こぶし)を、口に当て「ハー!」と息を吐きかけ、殴るぞと脅した。母の怒りの形相が目に焼き付いている。その母の「ハー!」の怒りが私にもある。母が私をやったように、私は子供をやった。母の怒りと私の怒りと両方の怒り。私の中で燃える。その怒りをどこに持っていくのか。毛布を丸めて、毛布を殴り殺した。3発やった。母に私がやられたのか私がやったのか分からない。
3発やったら寂しさが出てきた。母は寂しかったんだなと本当に出てきた。自分の悲しみを観ないで拳を握りしめて怒りで出していた母。怒りで頑張って頑張ってきた。怒りは幼かった私たちに向けたけれど、本当は、母(祖母)にやりたかったろう。納得できた。曾祖母も同じだったろうと思われる。私も、母も、その母(祖母)も、その上の母(曾祖母)も、少なくても4代は悲しみを隠して怒りで(何とか)やってきた。

祖母は悲しみを隠して死んでいったんだな。母もそうなろうとしている。でも私は悲しみを観たぞ。悲しみを抱きしめる喜び。怒りの正体は悲しみだった。母を超えた、観たぞ、歓喜の喜び。悲しくて泣いて、自分のものにできた喜びで泣き笑い。泣いているうちに「私は観たぞー」。怒りの奥にある悲しみを観た。自由な感覚。

母に同化してガッチリと固まっていた私は、悲しみを観た瞬間に広がった。これで良いんだと思った。悲しみも怒りもある。両方あって良いんだというのがわかっていい。自由な感じ。悲しみに浸っていたら自由になった。怖くない、これで死ねる。今まで怖かった。怖くないのがすごく新鮮。自分を生きれれば死も受け入れられる。凄かった。あんなに生きるのが不安で死ぬのが怖くていたのに。

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