206 象徴的理解2(言葉を越える)

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ベビーブレスで「自分と折り合いの悪い母と祖母が、ブレスの中で自分のかわいい小さな子供と同じように、小さな子供になって自分にすり寄ってきた」という映像的な経験をすることで深い理解が得られることは、興味深い。
自分が胎児期幼児期に悲しみなどの傷(自分と折り合いの悪い母と祖母からの傷)を受けると、その傷は何とか理解され納得されるまで、心の深くに潜伏する。その傷を自分で理解・納得しようとするときに、理解の材料としては言語や現実的な映像は手元にない。言葉は分からず、目がまだ見えない頃の遺物だから。漠然とした感覚的なものしか残っていない。この「感覚的なもの」は、胎児期幼児期から遥かに年月が過ぎた現在の大人になっても、心の中に存在する。不思議だが、当然。なぜなら、この「感覚的なもの」によって現在の自分(本人)が苦しむのであるから。この「傷」そのものも「感覚的なもの」として保存されているのかも知れない。
ベビーブレスでは、この「感覚的なもの」を、あたかもパズルのように組み合わせて、意識がはっきりつかめるように、すなわち理解できるように、しようとする。本人が、自分でも知らないうちに行う。パズルが組み合わさったとき、それは合理的な映像として、意味のある映像として認識される。「母と祖母が、小さな子供になって自分にすり寄ってきた」という映像である。
さらに、その映像によって自分が理解したことを再認識する。
(1)母や祖母は小さい頃、甘えられなかったが、本当は甘えたかった。
(2)そうすれば、本当は、母や祖母と自分の仲はよかったであろう。
(3)そして、自分もそれを喜んだであろう。
1番目の理解で映像が完成し、その映像をまるでテレビの映像のように見て、2番目の理解がなされる。これらは言葉を介さない理解である。理解を通して傷は癒される。

 

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